JR速星駅
(2010年5月14日撮影)
かつて、現在の市内電車・新富山停留所よりJR速星駅前まで、郊外軌道線を新設する計画がありました。
JR富山港線を軌道線化して富山ライトレールとして再生させたり、環状線を復活させたりと、
「コンパクトな街作り」を提唱し公共交通機関の復権を図っているいまの富山市政を見るにつけ、
実現できなかったことが惜しまれる路線ではないかと、思います。
事業者 | 富山地方鉄道株式会社 |
線名 | 速星線(運輸省申請書面上は「婦中線」) |
区間(主な経由地) | 市内線新富山電停−富山市神明地区−富山市羽根地区−婦中町羽根新地区−婦中町田島地区−婦中町下安島地区−国鉄速星駅前 |
距離 | 4.850km |
線路 | 狭軌・単線 |
車種 | ボギー式電動客車 定員80人 4両導入 単行 |
運転計画 | 西町〜新富山〜速星間 所要時間20分 15分間隔で運転 一日64往復 |
費用 | 約2億円(昭和28年当時) |
※昭和28年特許申請時の名古屋陸運局調書より引用
建設計画線通過地を予想し赤線で示す。
黒線は現在のJR各線、青線は現在の富山地鉄線。水色が富山市内軌道線。
昭和55年に廃止された射水線を緑色で示す。
昭和12年01月28日 (1937年) |
越中鉄道、新富山−卯花村間鉄道敷設免許申請。途中経過地は、婦負郡神明村・鵜坂村 |
昭和13年05月12日 (1938年) |
追加申請 |
昭和19年07月28日 (1944年) |
上記申請却下 |
昭和27年10月31日 (1952年) |
富山地方鉄道、新富山−速星間軌道敷設特許申請。先の越中鉄道の計画とは異なり、市内軌道線からの分岐線という形態である。 |
昭和28年12月28日 (1953年) |
上記特許取得 工事施工認可申請期限は昭和29年12月27日と指定される |
昭和29年〜昭和32年 | 工事施工認可申請期限の延期申請が毎年繰り返される。 |
昭和33年08月13日 (1958年) |
ついに工事施工認可申請提出にこぎ着けたが、道路管理者との調整のため富山県が保留扱いに。 結局、認可されず。。。 |
昭和43年06月04日 (1968年) |
特許廃止申請 |
昭和43年06月29日 (1968年) |
特許状返納 |
この計画は、旧射水線を開通させた越中鉄道による、新富山から速星・八尾方面への鉄道敷設計画に始まります。
昭和12年には、新富山−卯花村間の鉄道敷設免許申請を行います。新富山とは現在の市内電車・新富山停留所の近くにあった、旧射水線の新富山駅です。ここから卯花村までの、旧射水線の延長と考えてもよさそうです。
卯花村とは、現在の富山市八尾地域(旧婦負郡八尾町)の南東部にあたります。
卯花村を最終目的地として、まずは婦負郡神明村(現在の富山市)・鵜坂村(現在の婦中町)を経て速星村まで結ぼうとするものです。
速星村には、大規模な化学工場が当時からあります。この工場からも、敷設免許促進陳情書が提出されたそうです。
この計画は戦時中に却下されますが、これを引き継いだ富山地方鉄道が、昭和27年に再び特許申請を行います。
同じ新富山起点ではありますが今度は、富山市内線から分岐して現在のJR速星駅前に至る「軌道線」としての申請であります。
富山市内線との分岐部を除き、全線専用軌道を敷設。
なぜ、軌道線すなわち路面電車なのかと言えば、この地域は富山市中心部とは神通川を隔てて隣り合っていて、当時から急速な発展を続けてきたことにより、地元で、「軽快簡易な都市的(市内電車的)交通機関を要望する」(富山地方鉄道五十年史より引用)声が高まってきたことによるそうです。
昭和28年の特許取得以来33年の工事施工認可申請までの間、工事施工認可申請期限の延長申請を繰り返しています。この理由として、地元との協議の難航や富山市の都市計画との整合性の問題が挙げられます。とりわけ新富山分岐点附近においては、加越能鉄道による富山−高岡間鉄道計画がスタートしていましたから、これとの用地上のかねあいもあり、また、地元からは、将来の八尾方面への延長に備え、軌道線ではなく貨物列車も運転できるような普通鉄道に準じた線路規格にせよとの要望書も出されており、紆余曲折がありました。
しかし、工事施工認可申請を行ったものの、申請が認可される見込みがないまま10年が経過しました。
当時新富山分岐点の道路は国道8号線でした。県道富山高岡線となった現在でも渋滞が酷いですが、国道時代も渋滞が酷く、路面電車はじゃまもの扱いされていた時代ですということもあり、分岐するだけとはいえ、新たな軌道線は認められなくなっていました。
そのような諸般の事情を考慮して、昭和43年の特許廃止に至りました。
市内線の新富山停留所は、射水線が存在していた頃は「新富山駅前」という名称でした。当時の市内線は、富山駅前を通らずに、今の新富山から繁華街である西町へ向かう路線がありました。これに乗り入れて西町までの直通運転をする予定だったようです。
富山市内線は複線ですが、富山大橋の上は単線分の敷地しか取れないため、21世紀になった現在でも、神通川以西は単線のままです(新富山から西側は複線分の用地が確保されています。)
この富山大橋が老朽化したために、2010年現在掛け替えの工事中です。掛け替えの暁には、漸く市内電車も複線化されることになりますが、速星線が実現していたら、もっと早くに複線化しなければいけなかったかもしれません。
経由地は、五福地区・羽根地区・鵜坂地区・そしてファボーレの裏と、まさに今宅地化している地域であり、またファボーレ近辺や草島西線沿線はロードサイド型店舗が建ち並んでおり、都市化が進んでいます。
実現していれば、この地域の発展ももっと早かったかもしれないし、この路線が乗り入れるとされていた市内電車も活性化していたかもしれません。