JR氷見駅
(2010年5月3日撮影)
氷見線は、高岡から氷見までのローカル線です。
かつてこれを隣県・石川県の羽咋まで延長する計画がありました。
区間(主な経由地) | 氷見−上庄−小久米−三尾−志雄−南羽咋−羽咋 |
距離 | 22.5km |
規格 | 丙種・単線・非電化 |
費用 | 17〜20億円(昭和32年) |
建設計画線通過地を予想したものを赤線で示す。
黒線は現在のJR各線、青線は現在の私鉄線(万葉線)。
青緑線は、当時存在し現在は廃止済みの路線です。
大正9年 (1920年) |
能登鉄道(後の北陸鉄道能登線)、氷見−羽咋−大屋(輪島市)間鉄道敷設免許取得 (→ 羽咋−三明間を開通させたのみ、他の区間の免許は失効) |
大正11年4月11日 (1922年) |
氷見−羽咋間が鉄道敷設法の予定線になる。 |
昭和12年 (1937年) |
建設線に編入。しかし2年後には戦争の影響による財政難を理由に建設中止されてしまう。 |
昭和26年 (1951年) |
富山県氷見・石川県羽咋・志雄の沿線3町は、氷羽鉄道敷設促進期成同盟会を結成 |
昭和31年2月24日 (1956年) |
調査線に格上げ |
昭和32年4月3日 (1957年) |
建設線に格上げ |
昭和33年7月 (1958年) |
着工許可 |
昭和39年4月22日 (1964年) |
鉄建公団工事線 しかしこれ以降は地質調査等が行われた程度で、実際の建設工事は行われなかった。 |
鉄道敷設法別表六十六「富山県氷見ヨリ石川県羽咋ニ至ル鉄道」であります。
氷見線延長線、あるいは、氷見と羽咋の名前から取って氷羽線とも呼ばれます。
沿線は山間の小集落を縫って走るため、沿線人口はさほど多くないと予想されます。そういうこともあり、この路線の性格は、氷見と羽咋を結ぶとい うより、富山県と石川県能登地方を直結し双方の経済的・文化的結びつきを強めるためのものと言えましょう。
当時の新聞には、氷見側から鮮魚・木材・竹製品などが、石川県側から魚加工品・石材・石炭など、約300万トン、金額にして40億円(当時の価値ですか ら・・・)もの物資が動き経済の活況が約束されている、とあります。
(石川県に炭坑があったのでしょうか・・・氷見にはありましたが)
富山地鉄グループも同様に富山県と石川県のと地上を結ぶ路線を計画していましたがそれは氷見より海沿いに北上し七尾に至るものでしたが、国鉄の 方は氷見より能登半島を横断して羽咋に至るものです。
現在、羽咋附近の国鉄七尾線は、第三セクター化されています。大阪からサンダーバードが乗り入れる和倉温泉駅を境にして、JRと第三セクターに分 離されたわけですが、この氷見線延長線が開通していれば、その状況も変わってきたことでしょう。
高岡から羽咋まで直通運転されるのは当然として、羽咋から先の輪島や国鉄能登線方面への直通運転もあり得たでしょう。
約10数年後に予定されている北陸新幹線の開通により北陸本線は第三セクター化されますが、このときいわゆる「枝線」の扱いをどうするか論議をよ んでいます。
富山県内の枝線のうち、富山港線は路面電車化されて地鉄市内線と接続・直通運転(あるいは一体運営も?)される見通しですが、高岡から出ている 城端線と氷見線についてはまだ具体案は明らかになっていたい模様です。
存続の価値なしと判断されれば廃止の憂き目に遭うことも予想されます。
先が行き止まりであるため交通ネットワークとしての機能性に欠けるためでもありますが、この延長線が出来ていれば立派な交通ネットワークとして 機能したでしょうから、簡単には存廃論議にならなかったでしょう。