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富山地方鉄道・大岩延長線

大岩にある上市町観光案内看板:2010年5月5日撮影

上市町の観光案内看板
(2010年5月5日撮影)

まえがき

現在の、富山地方鉄道本線の一部、電鉄富山−上市間は、13.3kmを普通電車で25分かけて走ります。
この区間は、元々は五百石(現在の立山町)を経由して大岩に向かうものでした。
上市経由に変更になり、富山−上市間は開通したものの、大岩までの区間が未成のままに終わりました。

ちなみに、この区間は、大岩鉄道としての免許線の残存区間であり、昭和6年頃に工事認可申請を行っているとのことではありますが、富山地鉄公式 の社史には、未成線としての記載が無く、上市までの第一期線の記事中にちらっと見える程度であり、本気で建設するつもりだったのかは、判りかねま す。。。

概要

事業者 大岩鉄道(後に富山電気鉄道株式会社と改称)→富山地方鉄道へ
線名 大岩線?
区間(主な経由地) 上市−柿沢−大岩

概略図

上市−大岩間概略図
※MAPをクリックすると拡大表示します。

建設計画線通過地を予想し赤線で示す。
青線は現在の富山地鉄線、そして緑色線は昭和18年に廃止された区間です。

経緯

昭和2年6月18日 大岩鉄道に、鉄道敷設免許。
昭和4年6月10日 佐伯宗義が大岩鉄道発起人に加わる。
この人は後に富山地方鉄道初代社長となる。
昭和5年1月30日 起点、経由地の変更申請認可。
当初計画から現在のルートに変更される。
昭和5年2月11日 富山電気鉄道株式会社創立総会。
正式に会社が立ち上がった日。会場は、上市町の常福寺だった。
発起人代表の佐伯が社長に就くべきところ、「未だその任にあらず」として専務取締役に就任。よって、社長空席のまま会社発足となった。
昭和6年3月20日 富山電気鉄道、立山鉄道を合併。
立山鉄道は、国鉄滑川駅より現在の地鉄岩峅寺駅までの軽便鉄道。
現在の地鉄本線滑川−上市間と、立山線五百石−岩峅寺間にあたる。
昭和6年6月以前 このころ、上市−大岩間の工事施工認可申請を提出???
昭和6年8月15日 富山田地方(とやまでんじがた)−上市口間及び寺田−五百石間開通。
富山田地方駅は、現在の電鉄富山−稲荷町間に昭和44年まであった。上市口駅は現在の上市駅。
昭和6年10月3日 富山田地方−電鉄富山間開通。
昭和6年11月7日 上市口−上市間開通。
この時の上市駅は、現在の上市町児童館〜生涯学習会館のあたりにあったという。
昭和7年12月20日 上市口−五百石間廃止。
旧立山鉄道の区間である。
昭和18年1月1日 戦時下に置ける富山県下交通大統合により、富山地方鉄道発足。
昭和18年11月11日 上市口−上市間廃止。
上市口を上市に改称して現在に至る。
昭和26年6月1日 残区間である、上市−大岩間の起業廃止申請。(認可は昭和26年11月26日)

解説

上市町大岩には、真言密宗大本山である、大岩山日石寺があります。
国の重要文化財に指定されている磨崖仏で知られており、毎年大寒の日には、滝に打たれる寒修行に全国から信者が訪れます。
この日石寺参詣客輸送を主目的とする鉄道計画が存在しました。

現在の富山地方鉄道・上市駅は頭端式の駅で当駅を発着する列車はここでスイッチバックしていきます。
この駅はかつては上市口と称し、そのホーム頭端の先は、現在の生涯学習会館のあたりまで線路が延びていて、ここに上市駅があったのです。

富山電気鉄道が電鉄富山−滑川間を開業させたとき、その間を貫通する列車は全て上市でスイッチバックしますから、上市口−上市間を往復していたのです。
上市旧市街に近づけて利用の便を図ったものですが、戦時中の昭和18年にこの区間は廃止され、現在の姿になります。

その、旧上市駅より先、大岩までの鉄道敷設計画が、あったのです。

昭和6年に富山田地方と上市口間を開通させた富山電気鉄道は、もともとは大岩鉄道として企画され、免許を得ました。
その時のルートは、富山市東田地方より現在の立山町五百石を経由して大岩に向かうものでしたが、常願寺川という大河の架橋費用等で計画が難航する中、発起人に加わったのが、佐伯宗義氏でした。彼は、かねてより構想を温めていた「富山県一市街化」・・・県都富山市を中心に地方交通網を張り巡らし県下一円から富山市まで一時間以内に到達できるようにする構想・・・を実行に移すべく、計画の再検討を始めました。

そして、富山から上市へ直線的に向かう現在ルートに変更されたのです。五百石へは寺田で分岐することにしました。

一方、国鉄の滑川駅から南下、上市や五百石など、常願寺川右岸一帯の町や村を結んでいた軽便鉄道・立山鉄道がありました。
富山電気鉄道はこれを合併し、立山鉄道の上市駅に替えてその近くに上市口駅を設置、上市口から新宮川までのルートを変更して新設、新宮川から先は軽便軌間から改軌して滑川まで開通させました。そして、魚津へ、さらにその先へと線路を延ばしていくのですが・・・

大岩鉄道の本来の目的地である、大岩への鉄道計画は、上市−大岩間として工事施工認可申請をしました。
柿沢付近に遊園地を設け、旅客の誘引を図るつもりだったようです。

しかし、戦時中に、その計画の一部である、上市口−上市間を廃止したことにより、大岩までの延長は事実上、放棄されてしまいました。
正式な起業廃止は、戦後の昭和26年に行っています。

上市−大岩間について、工事施工認可申請期限である、昭和6年6月17日以前に会社は、富山県経由で工事施工認可申請書を提出したが富山県庁にて紛失し・・・ということを戦後になって、起業廃止申請の時に運輸省に上申しています。で、本当に提出したのなら原本があるはずだと運輸省に言われた会社側は、原本も戦災で消失したが、当時の担当者の記憶では確かに提出してあるはずで・・・ということ。

富山県内一市街化という大構想にくらべて、大岩山への参詣輸送はプライオリティが低かったので後回しにされ、そしてバス輸送で充分と言うことで、終わっていったのでしょう。昭和26年の起業廃止申請書にも、そのようなことが記載されています。

もし予定通り開通していたら・・・

その昔は、行楽といえば神社仏閣への参詣、という時代があり、そのための鉄道が多数、整備されました。いまも、その性格は変化させつつも生き残っている鉄道は多数有ります。

しかし富山県内には、神社仏閣への参詣を目的とした鉄道は過去も現在もなく、この大岩への鉄道計画が実現していれば、日石寺ももっと繁栄したでしょう。

近年の初詣客は、近隣の岩峅雄山神社が約15万人に対し、大岩山日石時は約3万人だそうですが、鉄道が開通していれば、富山から直通電車で行けますから、知名度もアップしたはずです。

現地は山あいの渓谷沿いを縫うように、道路は勾配が急でした。実際に鉄道を引くとなると、技術的に困難であったことでしょう。

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