加越能鉄道がかつて経営していた加越線の終点・庄川町から先は、小牧ダムの建設用の専用鉄道がありました。
これを復活し、黒部峡谷鉄道の様な観光鉄道(ただし普通鉄道)として活用しようとした計画です。
事業者 | 加越能鉄道株式会社 |
区間(主な経由地) | 加越線青島町−小牧(小牧ダム) |
距離 | 4.7km |
費用 | 約7800万円(昭和26年当時) |
建設計画線通過地を予想し赤線で示す。
黒線は城端線、緑線は加越線。
大正15年1月15日 (1926年) |
庄川水力電気、小牧ダム建設用専用線を開通させる |
昭和5年 (1930年) |
小牧ダムのダム工事完成 |
昭和6年4月 (1931年) |
小牧ダム建設用専用線にて非公式ながら、一般旅客運輸開始 |
昭和13年頃 (1938年) |
小牧ダム建設用専用線、運転休止か |
昭和14年10月 (1939年) |
小牧ダム建設用専用線、廃止 |
昭和26年12月15日 (1951年) |
加越能鉄道、青島村上村−東山見村小牧間鉄道敷設免許取得 |
昭和29年1月23日 (1954年) |
工事施工認可申請期限延期認可 その後も延期申請を繰り返した模様 |
昭和35年9月20日 (1960年) |
地方鉄道運輸営業廃止認可(これにより免許失効) |
庄川峡には小牧ダムという、完成当時東洋一を謳われたダムがあります。
これの建設資材運搬用の専用線として、庄川水力電気という電力会社が設置した鉄道がありました。
石動−青島町(のちに庄川町と改名)間を走っていた加越能鉄道加越線は当時は加越鉄道でしたが、これに接続し、貨物輸送に活況を呈したようです。
ダム工事終了後もしばらく使用されましたが、やがて廃止されます。
これを加越能鉄道が、庄川峡への観光路線として復活させようとしました。
当時は、レールは撤去されていましたが、路盤はそのままだったそうです。
庄川峡は、当時は黒部峡谷と並ぶ大観光地だったそうで・・・
すぐにでも建設できそうな路線でしたが、その後10年経過します。
理由として、例の富山金沢間鉄道と一括施工したい・・・という腹づもりだったようです。
加越線は廃止されるまで非電化でしたが、電化計画があり、その認可も得ていました。
電化に備えて、電車に改造できるように設計されたディーゼルカーを導入していました。
昭和35年の地方鉄道運輸営業廃止の申請理由に、富山高岡間鉄道計画に専念したいことと免許から今までの年月の間に沿線事情が著しく変化したことを挙げ、一応廃止し必要の生じたときに改めて免許申請すると、しています。
まもなく(昭和47年9月15日)これに接続する加越線も廃止され、計画は完全に潰えました。