「すいは」と読むのか「みずなみ」と呼称するのかわからないところです。
名前の由来ですが、射水郡と砺波地方を結ぶ鉄道ということなので、こういう名前なのでしょう。
免許申請日 | 大正15年7月22日 |
免許取得日 | 昭和2年7月8日 |
区間(主な経由地) | 新湊町三日曽根−牧野村−塚原村−大島村−二口村−浅井村−櫛田村−般若野村−中田町−東般若般若村−般若村安川 ※町村名・地名は申請当時のもの |
規格 | 動力:電気 軌間:三尺六寸(1067mm) |
鉄道から取り残された、庄川右岸の開発と地域振興を目的として地元有志が企画した鉄道です。
起点は今の射水市新湊地区で、「越中電気軌道が建設中の富山新湊線と連絡し・・・」ということで、現在の万葉線と接続する予定でした。
途中、北陸線の越中大門駅を経由します。ここで北陸線と連絡。
終点は現在の砺波市安川。砺波ロイヤルホテルのあるあたりでしょうか。
ここでは、「加越電気軌道が特許申請中の富山森本線と連絡」することが、免許申請時の目論見書に残されています。
加越電気軌道とは、加越電気鉄道と同一視してよさそうです。ちなみに富山森本線の特許(免許)申請は却下されてしまいます。
ちょうど、いまのJR城端線と平行するし電気鉄道を企画。
しかし、理由はよくわかりませんが、後に会社は裁判所から破産宣告を受け、経営陣は行方不明になり・・(当時の鉄道省が出した郵便物が、宛先人不 明で戻ってきたそうです。)
よって、免許は取り消されてしまいました。