年 | 月日 | 加越能新線計画の歴史 | 地鉄グループ全体の動き | 世の中の動き |
昭和5年 (1930年) |
2月11日 | 富山電気鉄道(株)設立 (設立登記は2月18日) |
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昭和6年 (1931年) |
11月 | 富山電気鉄道、11月までに、富山田地方−上市間および寺田−五百石間を開通させる(第一期線)。 | ||
昭和8年 (1933年) |
1月31日 | 富山電気鉄道、富山−津沢間(砺波線)の鉄道敷設免許申請。 主な経由地は、現地鉄稲荷町駅より南富山駅を経て、現婦中町の鵜坂・速星・音川村、現砺波市の栴檀野・出町(砺波駅)を経て津沢へ至る。 |
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昭和11年 | 10月 | 富山電気鉄道、電鉄魚津−西三日市(現・電鉄黒部)間を開通させることにより、現在の電鉄富山−電鉄黒部間が完成する。 | ||
昭和12年 (1937年) |
7月8日 | 日中戦争開戦。 | ||
10月20日 | 加越鉄道、加越線藪波駅より金沢への鉄道敷設免許申請。 | |||
昭和15年 (1940年) |
8月31日 | 富山電気鉄道、滑川−岩瀬間鉄道敷設免許申請 | ||
昭和16年 (1941年) |
11月29日 | 富山電気鉄道、加越鉄道を傘下におさめる。 | ||
12月8日 | 真珠湾攻撃により、日米開戦。 | |||
昭和18年 (1943年) |
1月01日 | 富山電気鉄道を母体に、県下の交通事業者が統合して、新会社・富山地方鉄道が発足。社長は佐伯宗義氏。 | ||
昭和19年 (1944年) |
11月 | 先の2件の鉄道敷設免許申請却下。 | ||
昭和20年 (1945年) |
8月15日 | 終戦までに、空襲等により、富山地鉄各線も甚大な被害を受ける。 | 終戦。 | |
昭和22年 (1947年) |
01月 | 北陸鉄道、金沢−福光間鉄道敷設免許申請。 | ||
昭和23年 (1948年) |
7月28日 | 富山地方鉄道、富山−金沢間鉄道敷設免許申請。 | ||
昭和25年 (1950年) |
6月25日 | 朝鮮戦争開戦。 | ||
9月1日 | 富山地方鉄道、笹津線・南富山−大久保町間開通 (富山−金沢間鉄道構想の一部という噂あり) |
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10月23日 | 加越能鉄道設立。 富山地方鉄道より、県西部に置ける鉄道・バス事業を分離独立させたもの。 |
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昭和26年 (1951年) |
7月6日 | 加越能鉄道、高岡−津沢間鉄道敷設免許申請。 | ||
9月8日 | サンフランシスコ講和条約調印。 | |||
12月25日 | 加越能鉄道、加越線青島町−小牧間鉄道敷設免許取得。 | |||
昭和27年 (1952年) |
4月1日 | 立山開発鉄道設立。 | ||
5月31日 | 北陸鉄道、富山地方鉄道の間で競合の形になっていた富山-金沢間高速鉄道計画の一本化を図るべく、加越能鉄道をその推進母体とするため、加越能鉄道に北陸鉄道が資本参加。 さらに、富山・石川両県と金沢市も資本参加。 |
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10月10日 | 加越能鉄道、津沢−金沢間鉄道敷設免許申請。 | |||
昭和28年 (1951年) |
01月31日 | 加越能鉄道、富山−高岡間鉄道敷設免許申請。 | ||
02月27日 | 加越能鉄道、26年7月・27年10月・28年1月の申請及び、富山地方鉄道・北陸鉄道の申請を全て取り下げ、新たに富山−高岡−金沢間と高岡−七尾間の鉄道敷設免許申請。 | |||
12月28日 | 富山地方鉄道、新富山−速星間軌道敷設特許。 | |||
昭和29年 (1954年) |
3月24日 | 運輸審議会の公聴会が開催される。 会社首脳部を初め、石川県知事、富山県知事、北陸電力社長などが公述人として、賛成意見を述べる。 |
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5月10日 | 富山−金沢間免許取得。(高岡−七尾間は、このときは保留) | |||
8月13日 | 立山ケーブルカー営業開始 | |||
昭和32年 (1957年) |
3月11日 | 富山−金沢間のうち、富山−高岡間を分割し、鉄道敷設工事施工認可の申請を行う。 | ||
昭和33年 (1958年) |
9月30日 | 富山地方鉄道、富山−中滑川間(海岸線)鉄道敷設免許。 | ||
昭和34年 (1959年) |
4月1日 | 加越能鉄道、富山地方鉄道より、高岡軌道線(現在の第三セクター・万葉線の一部)と高岡周辺のバス事業を譲受する。 | ||
12月26日 | 富山−金沢間のうち、富山−高岡間について分割工事施工認可。 | |||
昭和35年 (1960年) |
9月14日 | 用地買収が本格化する。 呉羽町(現・富山市呉羽)にて買収に関して協力を要請するための懇親会開催。 以降、小杉町、大門町と、沿線各地で開催。 |
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昭和38年 (1963年) |
1月 | 豪雪により被害甚大。 | 三八豪雪。 | |
昭和39年 (1964年) |
6月20日 | 立山高原バス、美女平−室堂間全線開通。 | ||
7月3日 | 加越能鉄道、昭和29年05月10日の免許時に認められなかった、高岡−七尾間の免許申請を取り下げる。 | |||
8月8日 | 先の免許取り下げ申請が国に認められる。 | |||
10月1日 | 東海道新幹線開業 北陸本線・金沢−富山間交流電化完成。 |
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昭和40年ごろ (1965年) |
建設用地買収を見合わせる。 このころまでに、予定地全体の51%の買収を終えている。 |
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昭和41年 (1966年) |
4月5日 | 富山地方鉄道、射水線の富山新港切断地点より西側路線を加越能鉄道に譲渡(現在の万葉線の一部)。 | ||
昭和43年 (1968年) |
4月21日 | 富山新港開港。 | ||
6月29日 | 富山地方鉄道、速星線の軌道敷設特許廃止。 | |||
昭和45年 (1970年) |
3月14日 | 大阪万博開幕。 | ||
11月 | 高岡−金沢間の起業廃止申請。 | |||
昭和46年 (1971年) |
6月1日 | 立山黒部アルペンルート全線開通。 | ||
11月 | 富山−高岡間の起業廃止許可 | |||
昭和47年 (1972年) |
9月16日 | 加越能鉄道、加越線・庄川町−石動間全線廃止。 | ||
昭和48年 (1973年) |
7月2日 | 富山地方鉄道、富山−中滑川間(海岸線)鉄道敷設免許廃止。 |